博多の夏の風物詩

梅雨のジメジメとした蒸す暑い日々が続いていますが皆さん、体調壊したりはされていないでしょうか?

もうすぐ本格的な夏を迎えるわけですが、博多の夏といえばずばり!「博多祇園山笠」ではないでしょうか?

今年も7/1〜7/15の2週間、開催されます。

 

私自身はこれまで、山を曳いたりなどの参加はもちろんしたこともなく飾り山を見物にいくくらいでしたが、

山笠に熱心な同級生がいたり、これまでの同僚にもちらほらと山笠参加者もいました。

また当院の患者様にも山笠関係者の方も多くおられまして、心ばかりですが当院も協賛させていただいております。

 

これまで山笠について深く勉強したことがなかったので、この機会に山笠について色々と読み調べてみました。

山笠の歴史を学んでみると大変面白かったのでここでご紹介させていただこうと思います。

これまで山笠にそこまで興味のなかったという方も、是非これをきっかけに山笠を観に行ってもらって祭りを盛り上げてもらえばと願っております。

 

▶︎起源は諸説あるが有力なものは、鎌倉時代の1241年、博多で疫病が流行した際に、承天寺の聖一国師が施餓鬼棚に乗り、祈祷水をまいて清めたところ見事鎮まったことに由来しているとのことでした。このお寺、13世期に建立されて現在も参ることができます!

▶︎現在の曳き山に近い作り山の奉納は、室町時代の1432年ごろから行われている記録が残っています。とんでもない歴史のあるお祭りですね!

▶︎戦国時代、貿易の要衝だった博多は富の争奪戦に巻き込まれ焼け野原となっていたが、豊臣秀吉の統治に伴い、「太閤町割り」と呼ばれる都市整備により復興し、このときの街づくりが「流」と呼ばれる地域分けの基礎となっています。流の区分は秀吉が作ったのかと思うと胸熱ですね!

▶︎江戸時代である1687年の正月、土居流の花嫁が恵比寿流れの男性に嫁ぎ、その挨拶の酒宴の席で騒動が起きた。その年の山笠において、恵比寿流れが、休息していた土居流を追い越そうと走り出し、驚いた土居流も負けじと駆け出した。この「山の競争」が面白いと評判になり翌年から前の山を追いかけるようになり、それが今のタイムを競う「追い山笠」となっていったとのことです。流同士の騒動をも、面白ければ新しい祭りのスタイルに組み込んでしまうところが現代にはない柔軟さです!

▶︎明治5年、新政府は中央集権化を進めるにあたり、旧来の宗教や事物を次々と破壊し、山笠に対しても「悪弊少なからず」という理由で中止令を出した。それにより1873年から10年間は山笠行事は中止されていたがその後、関係者の努力により復活するも、博多の町の近代化に伴う電伸線の架設や路面電車の開通などに伴い、高さのある山笠を走らせることができなくなった。(それまでは現在の飾り山を曳いていた) これをきっかけに飾っておくだけの飾り山と奉納のための舁き山とに分かれて行くことになったとのことです。政治的圧力にも負けず、文明や社会の変化にも対応しながら引き継がれていく熱い魂に脱帽です!

▶︎昭和39年、走る飾り山を復活させようと土居流、上新川端町の男達が様々な工夫を凝らし電信線を避けるための仕組みを取り入れながら山笠を建設し見事櫛田入りを果たす。これ以降、走る飾り山として山笠の見どころの一つとなっている。これは是非一度見に行ってみたいと思います!

▶︎終戦の年、福岡大空襲により博多の町は焦土と化し山笠も中断を余儀なくされた。しかし戦後、立ち直り博多の町および山笠も復興していった。
▶︎1979年 国指定の重要無形民俗文化財に選出。2016年には「山、鉾、屋台行事」がユネスコ無形文化遺産に登録される。
▶︎2020年、新型コロナパンデミックにより2年間、曳山行事は中止となったが2022年より復活している。約800年前、疫病退散の神事に由来をもつ山笠は、くしくもその800年後の現在、コロナという新しい疫病に苦しめられるもそれを今回も乗り越え復活を遂げようとしてるのです!

 

いかがでしたでしょうか?少し長くなってしまいましたが、山笠の歴史とても面白いですよね

山笠の男性たちが肩に担いで走っているものは、荘厳華麗な山というだけでなく過去の先人たちが幾多の困難を乗り越え紡いできた祇園山笠への熱い魂をも担いでいるのだと思いました。

この夏、博多祇園山笠を見に行って悠久の歴史と熱気を感じながらこのお祭りをみんなで応援してみませんか?

 

2023年06月30日